Madonna

Madonnaのニューアルバム「Confessions on a Dance Floor」は良いですね。小学生の時、「サタデー・ナイト・フィーヴァー」で洋楽の産湯に浸かって以来、ダンスミュージックとしては、パラパラやトランスのような無機質なヤツよりも、やっぱりグルーヴを感じるディスコビートですよ。

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マスコミへの苦言

今回の総選挙で、杉村太蔵くんという26歳の青年の言動が話題になっている。

ところが、日に日にその報道のされ方が面白おかしくとれるように歪曲されて報道されていると思うのは、私だけであろうか?
確かに、当選直後、JRがグリーン車でしかも全部タダとか、料亭に行ったことないから行ってみたいとか、国会議員の年収を知って、BMWがどうのこうのとか…。いずれも本人が発言していることのは事実なのだが、マスコミが彼の発言をメディア通して伝える際に、編集されて本人の意図とは違うように報道されてきているような気がするのだ。

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しずかちゃん!?

亀井静香氏への投票における記載において「しずかちゃん」は有効になる可能性もありだそうで。まあ、○だからといって、国政の行く末を左右するかもしれない今の情勢で、「しずかちゃん」なんて記載するふざけたヤツはもとより、そんなヤツが支持するの候補者は大したことはないということになるだけでしょう。

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「天海祐希の鬼教師」ネット論争について(その3)

昨日の「女王の教室」を観て、今まで反論を唱えていた人も考え方を変えたくれたのではないでしょうか?小学生が教室に灯油を撒いて、放火しようとした挙句に、カッターで教師に向かって刃を向けたというシーンは流石に衝撃的でしたが、それでもこの回における本質的な主張は、未来を担う子供達に対する家庭教育・学校教育に強烈なインパクトを与えたと思います。

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政治評論家って?

私は、このBLOGにおいて個人非難は基本的に避けており、そのポリシーを曲げてまで登場する槍玉はそれ相当な理由がある。
田原総一郎に続く2人目は森田実である。

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スポーツチームに企業経営の理屈は必ずしもあてはまらない

今回のプロ野球再編問題の騒動にて今週末以降のストライキはすべて回避されることとなった。
選手会会長である古田選手の苦労と決断に関しては、敬意を表したい。この妥結は彼が代表者でなければ実現できなかったかもしれないのだから。
締結後の握手が古田会長と瀬戸山代表の間で行われなかった背景、というは、バファローズ、ブルーウェーブ両チームの選手の心情を考えたらとてもできない、という判断であったとのこと。その判断は正しいと私は思う。
Jリーグでは、かつて、横浜フリューゲルスのオーナー企業撤退という理由で、同じフランチャイズを持つ横浜マリノスに吸収合併された。
私はJリーグ設立時からフリューゲルスを応援していて、ファンクラブにも所属していた。40mも離れた距離から神業のようなフリーキックを決める、10番をつけていたエドゥーという選手が好きだったし、ワールドカップの時期になると明石家さんまがホストをつとめるフジテレビの特番に、アルゼンチンレポーターとして登場するモネールという陽気な選手もいた。フランスW杯で中盤の要として活躍した山口がキャプテンで、その頃の前園はまだ元気だった。今、新潟で監督をしている反町の最晩年の頃である。
フリューゲルスが吸収合併されたことによって私はマリノスのファンになったか?答えはノーである。それどころか、その時を境に私はJリーグに興味が無くなってしまった。いまや私は、J1に何チーム所属しているのか、その全チームの名前すら即答できない。日本のサッカーの試合を見るのはA代表の試合の時だけである。
この点が一般の企業統合と大きな違いである。資本主義経済の下ではどんな分野でも競争原理が働く。しかし、ライバル企業が手を結んだとなれば、一般消費者の立場から見たところで求めるものを提供してくれれば、価値観としては変わらない。社員にしても企業そのものではなく企業が提供できるものに対する愛着があれば、世間を騒がせるような問題にはならない(もちろん、統合によるリストラ等の問題を除けば)。
しかし、スポーツの場合は違う。何故なら、本来、動物は争うということを本能的に持っている。しかし、本能に従って相手を殺してしまうようなことがあっては、よろしくない。そこで一定のルールを決め、そのルールの範囲内で争うというゲームを作り、そのゲームに人間の闘争本能を転嫁させた訳である。だからサッカーや野球のような団体スポーツは、言い換えれば戦争を置き換えたものに他ならない。相手の選手およびチームを「敵」という表現を使うのはそこに起源がある。企業ではライバルであっても「敵」という表現は使わないはずだ。
バファローズの磯部選手会長が涙をためながらコメントをする姿が放送されていた。その心情を思えば、近鉄という企業が何故身売りではなく合併を選んだのかの説明をぜひともしてもらいたい。
近鉄球団は近々、選手への説明とともに、応援団に対しては合併後の新チームについても応援を要請するとのこと。果たして応援団は承諾するだろうか?

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誰のためのプロ野球なのか?

とりあえず今週末のストライキは回避された。
今回の騒動の中で、「ストライキは絶対やるべきではない」という声がプロ野球OBに多かったように私には思えた。
その理由の多くは、週末は子供達がその試合を見るのを楽しみにしており、その夢を壊してはいけない、というものだったように思う。
確かにその考え方自体は正しいと思うが、今の日本のプロ野球を変えないままでいること自体の方が、これからの子供達にとって不幸に思える。
選手の体力やスピードについて、それぞれの時代の選手達をリアルタイムに観てきた人たちからすれば、「今の選手なんかよりも全然すごかった」という意見もあるに違いない。しかし、フラットな目で見れば全体的にレベルはアップしているはずだ。だからこそ、野茂やイチローのような選手が出てきている。
しかし、体力やスピードがレベルアップしたにも関わらず、今の日本のプロ野球がつまらないのは何故なのか。
今回の騒動の発端は近鉄であるが、ここまでこじらせたのはナベツネに代表されるジャイアンツが中心で成り立っているという時代遅れの錯覚である。この錯覚に見て見ぬふりをしてきたオーナーたちの責任は重い。選手自体がつまらないのではない。ドラフト以降の選手の均衡化は、それはそれで目的を達していると思う。
ジャイアンツには人気・実力をともに備えている選手がプロ野球が誕生した時点から多かった。テレビ放送の開始とともに、長嶋茂雄という戦後最大のスーパースターと世界のホームランキング・王貞治という両雄を柱に、ジャイアンツの人気は不動のものとなった。この歴史が現在まで錯覚から目を覚まさせない最大の理由である。
ジャイアンツは人気がある→人気があるからジャイアンツの試合を放送する→テレビではジャイアンツの試合が中心になる→野球を好きになるきっかけがジャイアンツである子供が多くなる→ジャイアンツの人気が高くなる→…というこの無限ループが今のプロ野球をダメにしてしまった。
メジャーリーグのテレビ放映権収入の仕組みを日本プロ野球が取り入れてこなかった最大の理由は、ジャイアンツが上記のループによって得られるうまみを崩したくなかったからに他ならない。したがって、セントラル・リーグはその恩恵に預かるべく、ジャイアンツの意向に賛同してきたし、パシフィック・リーグにおいてはシーズン中の対戦が無いために、人気を得るきっかけすら与えられなかったわけである。
この悪しき構造を変えるためには、血を流してでもコミッショナーおよびオーナーをはじめとする経営陣の意識改革をしなければならない。当然、そうなれば、客を呼べない選手に法外な報酬を与えるような曇っためがねを持つバカな球団はいなくなるはずで、全体が改革されるはずだ。

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カルロス・クライバー逝く

私が最も敬愛する指揮者、カルロス・クライバー氏が亡くなった。
ハードロックの様式美から、クラシックを本格的に聞いてみようと興味を持ち、FMでエアチェックをした最初の曲、L.V.ベートーヴェンの交響曲5番ハ短調作品67「運命」の指揮者がカルロス・クライバーその人であった。
作詞家:松本隆氏がヨーロッパまで行って、クライバーの指揮するオペラを見ることができたことに感激した文章等、クライバーの伝説などはそれから20年近く経ってから知ったことである。
私にとって最初の一歩がクライバーのベートーヴェンであったことの意味は非常に大きい。私にとっての偶然は、結果的に必然になった。まさに大滝詠一氏の名言、「必然は、最初は偶然という仮面を被って登場する」ということで。
気が付けば、ベートヴェンの4番、5番、6番、7番のCDや、DVD化されている’89および’92のニューイヤーコンサート、「ばらの騎士」(ベルリンフィルバージョンとウィーンフィルバージョンがある)や「こうもり」などクライバーの指揮しているソフトを見つけては集めるようになっていた。
今となっては映像ソフトとして、指揮をしている姿を残してくれた事に感謝するしかない。
ドタキャンなどのトラブルあれど、ひとたび指揮棒を持てば、またひとつ伝説が生まれる…親子二代に渡りカリスマ性を誇った偉大なる指揮者に黙祷を捧げたい…。

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