幻の親子での無敗三冠馬

先週のデアリングタクトに続き、2週連続で無敗の三冠馬が誕生しました。

特に今週のコントレイルはディープインパクトとの親子で無敗の三冠馬という偉業です。

鞍上の福永祐一騎手にとっても、例年の超満員の観客の圧迫感と大歓声が無かったとはいえ、無敗の三冠馬誕生への期待に対するプレッシャーは想像以上だったと思いますが、「馬を信じて」、見事最後の冠を手に入れて完成させました。

新型コロナ対策から静かな祝福ではありましたが、同一年に無敗の三冠馬が2頭、さらに親子での達成、という奇跡的に近い出来事は、なかなか平常には戻っていないこの状況に光明が差したような気がします。

 

 

無敗の、親子での三冠という話題になれば、どうしてもあの馬を思い出さずにはいられない。

たらればを語っても仕方はないことは承知の上で、あの骨折さえ無ければ、その栄冠はあの馬に与えられていたはずだと。

 

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暗闇の爆撃

10数年前から、舌癌との闘病を公表し、克服するも再発、それでも少しずついい方向に向かっているという報道もあったが、咽頭癌とは…。

ヘビースモーカーだったことも一因なのか、甚だ残念だ…。

エレクトリック・ギターの可能性を進化させたという点においては、控えめに言ってもジミ・ヘンドリックスの登場に匹敵する存在だった。

以前は”ライトハンド奏法”と呼ばれた、様々なヴァリエーションによるタッピングは言うに及ばず、ストラトのトレモロアームとハムバッキングピックアップの厚いサウンドを両方使うため、自らの手でハンドワイアリング含めて作成した所謂”フランケンシュタイン”ギター、ハミングバードピッキング、ヴォリュームコントロール操作によるヴァイオリン奏法とディレイの組み合わせ、ワイドストレッチのフィンガリング、ベースギター演奏で使われるサムピング、そしてフロイドローズトレモロ(シリアル:No.1)によるダイナミックなアームダウン、心地よくオーバードライブされたブラウンサウンド、フェイザーやフランジャーを活用した音作り.etc。

ギターヒーローとして、ライブではソロでのインプロヴィゼーションコーナーが用意され、観客を熱狂させるが、スタジオ録音作品で聞けるソロはインストゥルメント曲を除けば以外にもコンパクトなものがほとんどであり、そこには冗長さはない密度の濃いソロであり、特殊奏法の部分の下に隠れた基本的な構成は口ずさめるメロディアスなものが多いから、リピートに耐えうるプレイだと考える。

ギターは顔で弾くと表現する人もいるが、ソロを弾く時、しかめっ面や気難しそうな表情をする人が多い中、彼だけは笑顔で観客をノックアウトした。そんなギタリストは唯一人、彼だけだ。

ここ10年は療養の繰り返しだったので、あまり演奏する機会を見る機会が少なくなっていたので、まだまだ我々に新たな可能性を示して欲しかった。

Thank you! Eddie! R.I.P.

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ありがとう

志村けんさんの訃報。
あまりにも突然で、昭和40年代に生まれた世代にとっては、幼少期の時代にどれだけ笑顔にさせてもらったことか。

小学校1~2年生の頃、荒井注さんの脱退発表に伴い、志村けんさんが新メンバーとして加入することになったが、幼き我々の頃でも、
”荒井注の方が面白かったよなぁ~”
なんて生意気に言っていたものだ。

しかし、しばらくして、「東村山音頭」という必殺技を武器にドリフにおけるコントのエースとなった後の大活躍は言うまでもない。

志村けん加入後の全盛期、特に「全員集合」よりも「ドリフ大爆笑」で見せる、少しエロの要素が入ったコントの方が個人的には好きだったが、テレビの放送コードがだんだん厳しくなっていく中で、そういうネタも見られなくなった。
まだ、テレビを大人と子供が一緒に見ていた時代、世間一般では大人の方が気まずい感じになる(幸い、我が家は両親も一緒になって笑える家風だったのでそのようなことはなかったが)というのが、当時のあるあるの一つだった。

キャンディーズの伊藤蘭、桜田淳子、研ナオコらとで演じる夫婦コント、沢田研二とのスターと付き人のコントや合わせ鏡のコント、加藤茶とのヒゲダンス、神様コント、宇宙飛行士コント、仲本工事とのやせ我慢対決など、後々何度も再演されたコントは私のお気に入りだった。

バカ殿は、何といっても初期のお約束である、由紀さおりの年齢詐称オチが秀逸だった。

カラスの勝手でしょや、早口言葉のようなブームになったものに対し、地味ではあるが、ジュディオングの魅せられて、宮崎美子のデビューCMのパロディなども捨てがたい。

TVのお笑い分野がトークのアドリブやひな壇バラエティ中心になっていく中、ひたすらコントにこだわった芸人だった。

大人から子供まで笑える喜劇、日本はまた一人偉大な喜劇人を失った。

今は世界未曽有の危機、氏がそのウイルスによって急死したことは、あらゆる世代にとって緩みかけた危機感を引き締めてくれたと、この世界的危機が終息した時に改めて感謝できるように我々もがんばらなきゃいけないですね。

日本中に笑いを届けてくれてありがとう。

 

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AI美空ひばりに賛同できない理由

昨年末のNHK紅白歌合戦での「AI美空ひばり」に関する賛否が落ち着いたと思ったら、今度は手塚治虫先生のAIを活用した新作議論で再び賛否が分かれている。

はじめに、前者と後者の話は次元がそもそも異なる話なので、区別したい。

まず、最初にひばりさんの件であるが、AI技術で美空ひばりを再現する試み
自体が悪いのではなく、技術適用のチャレンジに目くじらを立てるようなことではない。
問題は、美空ひばりの「新曲」として販売した上に、紅白歌合戦という注目度の高い場で、完成度が高いとは言えない発展途上のアンドロイドに歌わせたことであり、山下達郎氏が「一言で申せば冒涜」と表現したことを私も支持する。

2011年に、VOCAROID技術で植木等さんを再現できる可能性がある、という情報が一部のメディアに掲載されていた。
VOCAROIDは、人間の実際の声をあらゆるパターンでサンプリングして音節や言葉のつながりでアーティキュレーションやイントネーションが変わる部分も含めてDB化されたライブラリから、条件に応じて文字や言葉を再現するようなもので、m.o.v.eのボーカル:yuriや元AAAメンバーの伊藤千晃、演歌の大御所:小林幸子など、有名アーチストの声で商品化されたものもある。

これらを使えば、即本人と同じ歌唱が再現できるということではなく、VOCAROIDをそれなりに歌わせるためには、それなりのテクニックがいるし、音源としてのライブラリはもちろん本人の声がベースになっているので、メロディや文字列によってはそのままでもそれらしく聴こえる場合もあるが、とても本物と見分けがつかないなんていうレベルにはまだ到達していない。言い換えれば、そのレベルであれば、本人歌唱なんていう表現も使えないので、まったく別物としてとらえられるので、賛否の議論は起きないはずだ。

しかし、今回は違う。AIで音声をもとに新たなメロディに対して歌唱をさせ、ビジュアルもそれらしく仕立てた上で、本人そのもではないにしろ、セリフも含めて、あたかも本人が蘇ったような演出を紅白歌合戦という舞台で披露したのはあまりにも稚拙である。NHKスペシャル特番だけに留めておけばよかったのだ。

何より、美空ひばりの歌唱というのは、日本のポピュラー音楽史における最高峰であり、戦後日本の昭和史における存在においては唯一無二である。
なので、美空ひばりというアーチストとしての技量と功績を考えれば、「新曲」と称して発展途上のクオリティで本人名義で歌わせ、中途半端な演出をするなんていうのは「冒涜」以外の何物でもないのである。これは、山下達郎氏に限らず、ひばりさんと生前親交が深かった中村メイコさんも不快感を持たれ、思わずチャンネルを変えた、と、出演されたラジオで語っていました。

AI美空ひばりの歌唱で感動された方もいるのかもしればい。でも、美空ひばりの歌唱とはかけ離れたものであることは一聴して明らかなので、正直、それで感動できる人はご本人が思っているほど美空ひばり本人の歌唱をまじめに聴いてはこなかったのでは?と、申し訳ないが疑いすら感じてしまう。

本日のワイドナショーで松本人志が、「どうせやるならもっと完成度の高いものにして欲しかった」と語っていた。その通りなのである。

後者の手塚治虫先生の場合は、少しニュアンスが異なる。ご子息でもある手塚眞さん監修によるこの試みは、手塚治虫の「新作」ということではなく、手塚治虫が残した膨大なキャラクター、タッチ、思想をもとに新たな創造物を生み出すことが可能か、というチャレンジであって、商業主義とは一線を画したものととらえている。

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ヒデキ!

アラフィフ世代の我々にとって、ヒデキはやっぱり特別な存在だったと改めて思った。

物心ついて、初めてカッコイイと思った曲は「情熱の嵐」だったと思う。

また、我々の世代は小学生の頃、「激しい恋」の出だしを替え歌で、

♪やめろと言われて桃太郎さん

♪今では遅すぎ太郎さん

♪激しい恋の風に~巻き込まれたら西郷さん

というのが流行っていた。

そして、当時の日本の子供たちにとって、カレーはやっぱり「ククレカレー」のキャンディーズと「バーモントカレー」のヒデキに尽きる。いずれもハウスの商品だ。子供ながら、おいしいカレーにはリンゴとハチミツが入っていることをヒデキは教えてくれた。

私が小学校4年の時、隣のクラスの担任が女性の先生で、熱狂的なヒデキのファンだったのを思い出す。

そして、70年代後半、ディスコブームに乗ってザ・ベストテンでも記録を作った「YOUNGMAN(YMCA)」。この曲に対抗してか、海援隊は「JODAN JODAN」でYMCAを意識した振り付けをしていた。

昔は芸能人水泳大会という特番があったが、ヒデキはブーメランパンツでへそ下からつながる体毛が刺激的だった。後にもんたよしのり作の「ギャランドゥ」がヒットして以降、我々の世代はその毛を”ギャランドゥ”と呼ぶようになった。

ヒデキの訃報を聞いて、WALKMANに入っているヒデキのヒット曲を改めて聞き直してみた。

「ブーメランストリート」「ブーツを脱いで朝食を」「ジャガー」…そして、近年、明石家さんまさんが長澤まさみに教え込んだギャグの元ネタになっている「ブルースカイブルー」、今でも歌える曲ばかりだな。

新御三家はそれぞれで「カックラキン大放送」のレギュラーを務めた時期があるが、さすがにコントに関して五郎やひろみに比べるとあまりうまくないというか、お笑いの「間」の感性が二人よりは無かった気がする。

80年代に入ると、ニューミュージック系のアーチストの曲を歌い始める。もんたよしのり、横浜銀蠅、小田和正、吉田拓郎…。「ガール3部作」と呼ばれたものもあったね。そしてワムの「ケアレス・ウイスパー」のカバー「抱きしめてジルバ」。郷ひろみは「ケアレス・ウイスパー」のタイトルで日本語カバーをしたが、セールス的にはヒデキの圧勝だったと思う。

河合奈保子はヒデキの妹としてデビューし、その2代目が石川秀美、3代目が財前直見だったと思う。

球場コンサートなんかも多かったと思うし、当時は土日の昼の時間帯とかで特番で放映されていた気がする。ライブではハードロックも取り上げて、レインボーの「アイ・サレンダー」を知ったのはヒデキのライブでの歌唱だった。後にシングルでグラハム・ボネットの「ナイトゲーム」を出したくらいなので、ヒデキの歌唱スタイルにハードロックの曲調は合っていたかもしれないな。

病に倒れてから、かつての絶唱スタイルは難しく、しかも2度目の脳梗塞以降は非常に大変だったと思う。

最後にヒデキの映像を見たのは、金スマだったかなぁ…芳村真理さんが久々にテレビ出演した際に直接会いに行った回だったと思う。活舌があまり芳しくなく、リハビリも相当苦しそうだったが、それでもヒデキのようなスターが一生懸命リハビリしている姿は、同じ病の後遺症と闘っている人に勇気を与えていたはずだ。

報道によれば先月の25日にご家族と団らん中に意識不明になってから、亡くなるまで意識が戻らなかったそうだ。

我々は十代の多感な時期に、全盛時代であったヒデキの姿を思い出として記憶にとどめているのは幸せかもしれない。

ありがとう、ヒデキ。

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飯島愛・引退は真実

今日の「サンデージャポン」で本人自ら3月末での引退を語っていました。

いろいろ考えた末での結論でしょうから、第三者がとやかく言う問題ではないでしょう。今でこそ、芸能界で独特のポジションを確立したが、AV女優からタレントに転進したての頃は、結構ひどい扱いもあったかと思う。

私が記憶しているのは、「スーパージョッキー」での生着替え(熱湯風呂等で耐えた時間だけ宣伝ができるというコーナー)で、着替えの制限時間が満たないうちにカーテンが落ちたことがあった。どう考えてもあれはアクシデントではなく、俗に言うポロリのハプニングに見せかけるためにディレクターが指示したのが見え見えで、飯島愛本人は冷静な表情を一生懸命作っていたが、あれはテレビを見ている側にとってもやり過ぎに見えた。

とにかく、裸からスタートしているタレントに対しては、低俗な偏見で扱われるのが芸能界である。だから、彼女が今のポジションを確立するために相当努力したのだろう、ということは視聴者側でもよくわかる。彼女の成功は、及川奈央など、同じようにAV業界からタレントに転進する門戸を開いたとも言える。ただし、AV業界で名前が売れてタレントに転進したからといって、お色気シーンで使われたりする程度を超えられないのは、タレントとしての商品価値として自分を磨けるかどうかであり、芸能界のスタート地点に立っただけで成功が約束されたと勘違いしてしまうからだろう。前段のパラグラフで書いたように、飯島愛も最初はお色気目的のところでアサインされるケースが多かったが、バラエティの中でポジションを獲得したのは本人の才能と努力の結果以外の何物でもない。

バラエティ・タレントとして、まだ商品価値があるうちに引退というのはある意味正しいと思うし、セクシー系のバラエティ・タレントが増えてきていることを考えれば、今のポジションにしがみつくよりも、自分の人生で他にもやりたいことがあれば、そちらに向かう方のもいいでしょう。「格付けしあう女たち」が好きな私にとって飯島愛がいなくなるのは残念ですが…。

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「飯島愛引退報道」について

事務所は3月末で引退を発表しているが、飯島愛本人は「サンデージャポン」で明確なコメントをしなかった。

これはどうしてだろう?

本人の体調不良はブログでも綴られていたから、休養というのなら分かるが、引退とは…。

渡辺エンターテイメントといえばナベプロ系列だから、タレントと事務所サイドの見解の相違がこんな形で報道されるような不手際はまずしないでしょう。

飯島愛という人は、芸能界でも極めて異例な出世をした人だ。AV女優という立場から、バラエティ番組における女性タレントとしての位置づけを確保し、ベストセラー作家にもなった。でも、過去の経歴に対してあれこれ言う人も絶えないし、"バラエティタレント"という名称は芸能界の中でも定義がはっきりしない肩書きであるから、今後の自分の生き方を考えると悩ましいのも確かであろう。

個人的には、テレビで見る彼女よりも、一時期放送されていたラジオでのトークや、ブログの中に見られる本音や弱気になる部分に、親近感を感じるようになった。そして、世の中に名前が出始めた頃に比べれば、彼女は非常に色々なことを、見えないところで努力してきた結果がちゃんと表れているような気がする。

真実はどうなのかは来週、本人がちゃんと語ると「サンデージャポン」でも話していた。彼女のファンは今や男性より圧倒的に女性の方が多いだろうし、彼女より年下の、それも生き方があまり器用でない女の子たちにとっては、何より不良から立派に更生した大人の一人としての手本でもある。そういった意味でも、もちろん、バラエティタレントとしてもその個性は代わりがない人だから、個人的には引退ではなく休養であることを願いたい。

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序曲 1812年

東洋水産・マルちゃん「昔ながらのソース焼きそば」のCMにチャイコフスキー・「序曲 1812年」が使われていますね。「のだめ」の影響か、クラシック音楽が非常に馴染みやすい状況にあるし、インパクトもある曲だから、マーケティング戦略としても、この曲を選択したことはなかなか鋭いと思います。

しかしながら、ハードロックの洗礼を受けた者にとっては、「1812年」と言えば単なるクラシックではなく、やっぱり、故・コージー・パウエルのドラムソロに尽きますよね。

CMは15秒と短いですが、使われている部分を聞く度に、この「1812年」をバックにドラムソロを演じたコージーの雄姿が目に浮かんできます。あの突然の訃報から、もう9年の月日が経とうとしています…。

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「おふくろさん」騒動

家に着いた頃には日付が変わってしまい、一刻も早く寝たいところだが、この問題は忘れないうちに書き留めておきたい。

この「おふくろさん」問題に関しては、何故このようなことでもめるのか分からない方も結構いると思う。レコードとして発表された歌詞以外の詞とメロディを冒頭に付け加えただけで、何故、作詞家の方が激怒しているのかということを。

楽曲が作られる過程に関して、特に演歌と称されるジャンルの場合は圧倒的に詞先が多く、それだけ、演歌の歌詞の内容というのはそれ自身で自己完結している世界がある(ポップスやロックの場合は、内容とは別に言葉の響きや言葉遊びが用いられるケースもあるように、必ずしもストーリーが100%意味を持っている訳ではない)。このため、その完成している詞に対して、新たに別の作者が作った詞を無断で付加するというのは、オリジナルの詞の作者に対して失礼極まりない行為である。

別のインタビューで、森本人は

「あの歌は自分で言うのも何ですが“森進一のおふくろさん”になっていますからねえ」

と答えているそうだが、問題の当事者である本人がそんなことを言っていること自体、驕りも甚だしいと感じる。

確かに「おふくろさん」という曲は、森進一の物真似をする人は、ほぼ100%、この歌で真似するくらい、代名詞であることに異論はないが、この論争において森は作詞者である川内氏と自らが出向いて話をするつもりはないという。楽曲管理元の問題はスタッフの仕事と割り切っているようだが、自らの看板にも等しいこの曲を生涯歌いたいのなら、しかもそれが誤解だというなら、なおさらスタッフまかせではなく、自らが収拾させるべきであるはずだ。

川内氏はもはや森と会うつもりはないらしい。既にJASRACにも届出をしたということで、氏が森へ提供した曲はいずれも歌えない状況だ。「花と蝶」「命あたえて」など、森進一ならではの代表曲が歌えなくなるというのは、森本人にとってもファンにとってもマイナスでしかない。

"寛大な心で許して欲しい"とは勝手な言い草、作家の立場を守ることもまた大事なこと。少なくとも今回の問題に関しては、どちらが歩み寄るべきかは明らかだ。

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森進一困惑「おふくろさん」に勘当された

 歌手の森進一(59)が、代表曲「おふくろさん」を手がけた作詞家・川内康範氏(86)から絶縁を宣言された。同曲の冒頭に歌詞を無断で加えたことに川内氏が激怒。「ぼくの曲は二度と歌わせない。(森と)会う気持ちは一切ない」と語り、法的手段も辞さない構え。森は都内で緊急会見し、「30年前にできた曲。今まで言われたことはなかったのに」と困惑。早期の和解を希望したが、話し合いは難航しそうだ。

 森の代表曲「おふくろさん」(71年)の冒頭に、メロディー付きの短いセリフが加えられていることが発端だ。このセリフバージョンは、ステージ演出家の保富康午(こうご)氏がコンサート用に書き加え、1977年発売のライブ盤に収録。それから30年、森は公演でたびたび披露し、一昨年、昨年と紅白歌合戦でも歌った。

 森はこの日、NHK歌謡コンサートの出演前に同局で会見。当時、川内氏にセリフ付け足しの報告をしなかったことを認めた上で「僕は歌うだけで、当時のスタッフが報告したと思っていた。突然のことで驚いている」と困惑の表情。「できるだけ早く歩み寄りたい。当時かかわったスタッフにまず先生と話してもらって、『(歌って)いい』とお許しが出たら会いたい」と直接謝罪を希望した。

 しかし、怒りが収まらないのは川内氏。森の会見から1時間後に都内で本紙の取材に応じ、「会うつもりは一切ない」と強い口調で言い切った。これまで一度も抗議はなかったとする森の主張も、「ぼくは6、7年前から言っていた」ときっぱり。30曲以上の森作品を手がけているが「ぼくの曲は二度と歌わせない。ジャスラック(日本音楽著作権協会)にも届け出た。歌った場合は、法的手段に出る」と明言した。

 昨年末の紅白歌合戦をビデオで見た川内氏は、今月17日に森を含むスタッフらに事情説明を求めたが、森が風邪を引き、対面自体が中止に。川内氏はこのドタキャンで余計に腹が立ったという。「(森が)困っている時にどれだけ助けてやったことか。人間失格である」と痛烈に批判した。

 和解の可能性について「歌詞を削除するとかの問題ではない。会いたくない」と強硬姿勢を崩さない川内氏。現段階で両者の対面予定はなく、騒動は長期化しそうだ。

 ◆「おふくろさん」の冒頭に加えられた歌詞 「いつも心配かけてばかり いけない息子の僕でした 今はできないことだけど 叱(しか)ってほしいよ もう一度」

(2007年2月21日06時02分  スポーツ報知)

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ウソ読みで引ける難読語辞典

先日、朝起きたときにかかっていたラジオの中で紹介されていたことで知り、便利そうなので買ってみました。

邪道な感もありましたが、漢和辞典で探すにも部首や画数がわからないと調べるのに苦労したりするから、適当ないい加減な読み方から本当の読み方に行き着けるという発想は面白いかと思います。

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