私には理解できない。
自然の状態というのは、何もしないというのがゼロベースである。
人間は、その歴史の中で、医学という学問を確立し、病やケガに対する
処方を開発してきた。
それ自体は幾多の犠牲で得られた最も有効な対処法が選別されて現在に
至っている。
世の中の多くの人が誤解しているが、病気を治すのは薬ではない。
薬の効能というのは、病やケガによって生じる免疫反応によっては非常に
身体に負荷がかかる状況に対し、それを耐えうる程度に和らげることであり、
病気や炎症そのものは免疫メカニズムによってでしか解決できない。
だから、薬というのは処方箋というのがある訳で、適用量を超えての使用は、
有害なものとなる。
ワクチンがあたかも病気に対する特効薬のように思っている人がいると
すれば、それは誤解しているというしかない。
基本的に従来のワクチンというのは、対象となるウイルスを弱毒化したものから
生成されたもので、それが期待通りの効果を出すのは、同じウイルスからの
生成で、充分な治験を経て承認されたものである。
だから、インフルエンザのように毎年流行する型が異なるようなものは、生成
されたワクチンの元になったものと型が異なる場合、ワクチンの効果が表れない
のはそのためである。
さて、コ〇ナワク〇ンの場合はどうかというと、新型コロナとされているウイルスの
遺伝子配列を解析し、m-RNAの作用を利用して発症を抑える仕組みを利用したもの
なので、従来のものと異なる上に、充分な治験というのは得られていないところが、
大きく異なるのである。
近年、ゲノム解析技術は飛躍的に進歩していることは理解するが、遺伝子配列を
すべて解析したとかいう記事を読むため、「自分たちが見えている範囲については」
ということに気づかないだけでわかった気になっているのではないだろうか?
と思ってしまう。
治験は試験管や顕微鏡の世界から、動物実験を経て、人間への治験を長い期間を
経て検証されるものである。
しかし、今のコ〇ナワク〇ンはそのプロセスを経ていないというか、現時点でも
緊急承認による実使用という名の治験状況にあるということに変わりはない。
このため、条件によっては重大な副作用の可能性も承知した上での使用が必要で、
結果としてどんな結果になっても、その実験台になったという許容が前提になるが、
世の中の多くの人はそんな状況に自分がなると思ってはいない。
一方、不幸な結果となった場合、許容する対価としての補償があるべきだが、
それも表面的には用意されていることになっているが、実際にそれが認められる
ことはほとんどないということに何の疑問も持たないのだろうか?
考えてもみてほしい。
副反応として一時的に熱が出るというのは、しぶしぶ許容したとして、
それが、新しい型が流行する可能性があるので、それに合わせたものを適用しましょうと
それを死ぬまで何回でも続けて、その度に熱が出たり気分が悪くなったりすることに
なんで疑問を持たないのか?
薬はそもそも、健康な人間には不要なものである。
健康な人が、わざわざ薬を体内に入れて、体調がおかしくなる、という本末転倒な
状況をなんで受け入れるのか?
国もテレビ医者もそれを推進してきた。
しかし、最近になって、心ある医師、看護師をはじめとする医学関係者が
立ち上がり始めた。
彼らはほとんどが臨床畑の人たちであり、学者さんではない。
薬というのは、異常が出たら即刻中止する、というのは基本原則であり、
どんな薬にもその文言は必ず記載されている。
彼らは日々の患者対応の合間を縫って、自分たちが対応してきた患者の状況と
国内海外問わずワクチンによる影響に関する研究論文を精査し、その危険性を
国民に理解してもらう活動をし始めた。
しかし、メディアは今も彼らを反ワクチンとして扱うだけでまともに取り上げない。
メディアしか情報を見聞きしていない人には伝わらない状況を今も作り上げている。
海外では既に集計すらやめてしまったPCR陽性者を感染者として人数を毎日報道し、
国民の不安を煽り、薬品会社との契約により、中身を決して分析させないワクチンを
国民に強要している。
私は、ウィルスよりも、今のこの状況に麻痺してしまっているワクチン推進派の方が
恐ろしく、まるでハリガネムシに規制されたカマキリのような行動をとっている
ようにしか見えない。
既にウィルスは弱毒化して人間と共存しているのに、経年後の結果が不透明な
ワクチンに染まり切った洗脳状態で、体内で変異させた得体のしれないウイルスの
スーパースプレッダーになりつつあり、しかも、自分たちが正義だと思っている。
本当に恐ろしいのは、今ではない。
5年後、10年後、どちらが正しかったのかがわかる。