誰かに決めてもらいたいのか?

マスク着用すべきか否か。その基準を明確にしてほしい、と巷で議論になっている。

確かにマスク警察の目もあるとか、取り巻く状況からお上の物差しで
決めてほしいという理屈はわからなくはないが。。。

人が少なければマスクを外してもいいのでは? なんていうレベルの話を
今もしていること自体おかしいのだが、もう少し何故それが必要か否かは考える
こともできなくなってるのかと思うと、日本人はこれほどまでに自分で考えることを
止めてしまったのかと落胆してしまう。

そもそも、「三密」とか言われ始めた頃に、「換気をしましょう」というのが
対策の一つにあった訳だが、これって室外の空気ならウィルスがほとんどないという
条件が成り立つことで可能になることでしょうに。

だから、屋外での人が少ない場所であれば、基本的にマスクをする意味はないはずなのに
杓子定規で外に出るときはマスクをしなければならないという暗黙の定義に縛られて
動けなくなってしまっている。

この感染症が接触感染ではなく、エアロゾルによる感染が最も可能性が高いことは
クルーズ船での集団感染の状況から、実際に治療にあたった医師団の一致する意見であり、
この観点から言えば、過剰なテーブル等のアルコール消毒などはさして意味がない。
我々は既に無数のウィルスが生活環境の中に存在する状況にいる訳で、人体に影響がない
ウィルスはもとより、害を与える可能性があるウィルスに対しても自然免疫とのバランスで
均衡を保っている。

屋外での大気は常に流動しており、一部のウィルスがそこに投げられても限りなく大きい量の
大気の中では人間の生命に影響を及ぼすような密度の高いウィルス濃度を保つことはできない。
ところが、アクリル板やビニールシートが大気による中和を逆に阻害し、その空間のウィルス濃度を
高める方向に作用しているので、逆効果になっているのである。

ワクチンは感染を防ぐものでもなければ、他人に感染させることを防ぐものではないと
最初に説明されているにも関わらず、いつの間にか、感染抑止だとか他人に感染させないとかの
ミスリードをマスコミが主導で拡散しているのに、そのことについての是正を政府もマスコミ
自身もしようとしない。だから、PCRの陽性結果は陽性者であることでしかないのに、「感染者」と
報道して煽るようなことをしてきた訳だ。

私は、人が密集していればマスクはした方がいいと思うし、普段街を歩く際、人とすれ違うことが
ほとんどなければ外している。

こんなことはこの2年の間に学んだことを一つ一つ何がどう作用するかとか、何が関連するとかを
考えていれば自ずと結論は出るはずなのに、それを肩書のある人のお墨つきが欲しいらしい。

考えてみよ、医療関係者とか政治家は損得勘定が働くから、武漢型を前提としたワクチンを
打て打てと言い、既にウィルスの型が変異して効果が半減していることは報道されていた
にも関わらず、そういう情報はうやむやにして、とにかくワクチンを打つことが解決策だと
言わんばかりに推し進めてきた。

しかし、感染者が減らないのは北朝鮮などの特殊な国を除けば、いずれもワクチン先進国で
そもそもワクチンや国民が政府そのものを信用していない国の方が収束してきている。
これは一体、どういうことかを改めて考えるべきだ。
ワクチンが意味がないとは言うことではなく、高齢者や一部の必要な人にとってはリスクとの
トレードオフでも効果があるというのは間違っていない。ただ、大多数の人にとっては
必ずしも必要なものではないということである。
本来2回で終わると言われていたものが3回、4回はおろか、今後も一定間隔で打ち続ける
必要の可能性がある、なんていう理屈は通らない。

それどころか、接種によって体の不調を訴えても、許容すべき副反応と片づけ、
不幸にも亡くなられた人が現れても、因果関係不明としてそれ以上の調査を行わない。

自分の体に入れられるものの重大性をもう少し真剣に考えれば、こんな不完全なものを
簡単に信用する方がおかしい。

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