真偽は受け取る側で判断せざるを得ない

説明の仕方や資料のまとめ方を見る限り優秀な方だと思っていたのですが、
先日、文芸春秋に下記のような寄稿をされたと。

https://bunshun.jp/articles/-/48507

新型コロナに関する報道に関して、医療従事者、医学の専門家と称する方々の中でも
真逆の意見が混在し、一般市民にとっても何を信じるかによって考え方が分かれる。

そこに挙げられた本もデマを発信しているという紹介の仕方なのだが、内容の精査に
あたり、こびなびメンバにも監修してもらったという記述があり、枠推進大臣ご用達の
お墨付きということらしい。

先に記載したように、枠について両極端の考え方が存在しているが、どちらも医学の
専門家が唱えている以上、一方が相手の意見をデマだというなら、デマを吹聴していると
いう方の大学教授だとか、〇〇センター研究員とか、医師免許を保有し、日々患者の
治療に従事している臨床医は何者だというのか?

メディアは、一方的に推進する側の人間しか登場させないから、テレビやラジオしか
情報の入手源を持たない人たちにとっては、それに登場する専門家と称する人が
自分たちと違う意見を発信する人の意見はデマだと言われれば、そうなんだろうと
思ってしまうのが普通だろう。

厳しい言い方になるが、専門用語が飛び交い、あらゆる職業の中でも難易度が高い
医学という分野の専門家に言われてしまうと、その言葉に疑問を持つ人は少ないから、
そういう人たちを騙すことなんて簡単なのだ。
でも、自分で基本的なところから地道に理解しようとすれば、反対意見よりも推奨して
いる側の説明の方が論理的に不完全であることがわかる。

生命にかかわる部分は未知の部分が多い。
推進派が「問題ない」と言っているのは、人間が”今のところ”解明したと信じられている
内容に基づいた内容をベースにしているに過ぎない。
一例を言えば、自然感染よりもワクチン接種による抗体の方がよい、という説明に際し、
自然感染では、直接関係ない情報も混在していて抗体生成が効率的ではない、ワクチンは
コロナウィルスの遺伝子配列から解明したmRNAによる抗体生成を細胞に働きかけるので
効率的かつ大量に抗体を生成できると。

一見、ワクチンの方がいいのね?なんて言わせたいのかと思うが、神の領域とさえ言われる
生命科学の分野をいかにも知り尽くしたような驕りにしか感じない。
表面上、何も関係ないように見えるものが、全体の中ではそれがあることによって
結果としていろいろな機能が補完されるようなことは、自然界にいくらでもある。
例えば、牡蠣を育てるために山に木を植えるが如く。

話を元に戻す。
物事は相対的に存在するので、一方を完全に正しいとしてしまえば、他方は間違いに
なるのは当然である。
しかしである。これは机上の論理による間違い探しではない。

こびなびに属しているメンバにも、疑いたくなるような発言や思想の人間がいる。
正しいとされている監修母体の方が間違っているとなれば、正しい間違いも真逆になる。
一般の社会で、企業の中でもいったん出した数字や定義は、間違いが判明しても、それを
正すどころか、辻褄が合うように説明の方を修正させられることの方が普通だ。
おそらく、国家権力だって大して変わらない。戦時中の大本営だってそうだったのだから。

副反応による重篤化、死亡事案に対し、なかなかワクチンとの因果関係を認めないが、
ワクチンは半ば見切り発車で世に出たものである。
一般社会では、事象が発生すれば、その直近の変化を疑うのが常識なのに、
ことワクチンだけは、ワクチン接種後に異常が起きても、直接的な因果関係とは言えない
という。

ワクチン接種後によって起きたことは、ワクチンが第一容疑であって、そうでないというのであれば
ワクチンが原因では絶対にないという立証責任を、ワクチン側が示す義務があり、それが
説明できない事案は、結論づけはできない以上、すべて継続調査扱いにされなければならない。

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