志村けんさんの訃報。
あまりにも突然で、昭和40年代に生まれた世代にとっては、幼少期の時代にどれだけ笑顔にさせてもらったことか。
小学校1~2年生の頃、荒井注さんの脱退発表に伴い、志村けんさんが新メンバーとして加入することになったが、幼き我々の頃でも、
”荒井注の方が面白かったよなぁ~”
なんて生意気に言っていたものだ。
しかし、しばらくして、「東村山音頭」という必殺技を武器にドリフにおけるコントのエースとなった後の大活躍は言うまでもない。
志村けん加入後の全盛期、特に「全員集合」よりも「ドリフ大爆笑」で見せる、少しエロの要素が入ったコントの方が個人的には好きだったが、テレビの放送コードがだんだん厳しくなっていく中で、そういうネタも見られなくなった。
まだ、テレビを大人と子供が一緒に見ていた時代、世間一般では大人の方が気まずい感じになる(幸い、我が家は両親も一緒になって笑える家風だったのでそのようなことはなかったが)というのが、当時のあるあるの一つだった。
キャンディーズの伊藤蘭、桜田淳子、研ナオコらとで演じる夫婦コント、沢田研二とのスターと付き人のコントや合わせ鏡のコント、加藤茶とのヒゲダンス、神様コント、宇宙飛行士コント、仲本工事とのやせ我慢対決など、後々何度も再演されたコントは私のお気に入りだった。
バカ殿は、何といっても初期のお約束である、由紀さおりの年齢詐称オチが秀逸だった。
カラスの勝手でしょや、早口言葉のようなブームになったものに対し、地味ではあるが、ジュディオングの魅せられて、宮崎美子のデビューCMのパロディなども捨てがたい。
TVのお笑い分野がトークのアドリブやひな壇バラエティ中心になっていく中、ひたすらコントにこだわった芸人だった。
大人から子供まで笑える喜劇、日本はまた一人偉大な喜劇人を失った。
今は世界未曽有の危機、氏がそのウイルスによって急死したことは、あらゆる世代にとって緩みかけた危機感を引き締めてくれたと、この世界的危機が終息した時に改めて感謝できるように我々もがんばらなきゃいけないですね。
日本中に笑いを届けてくれてありがとう。