昨年末のNHK紅白歌合戦での「AI美空ひばり」に関する賛否が落ち着いたと思ったら、今度は手塚治虫先生のAIを活用した新作議論で再び賛否が分かれている。
はじめに、前者と後者の話は次元がそもそも異なる話なので、区別したい。
まず、最初にひばりさんの件であるが、AI技術で美空ひばりを再現する試み
自体が悪いのではなく、技術適用のチャレンジに目くじらを立てるようなことではない。
問題は、美空ひばりの「新曲」として販売した上に、紅白歌合戦という注目度の高い場で、完成度が高いとは言えない発展途上のアンドロイドに歌わせたことであり、山下達郎氏が「一言で申せば冒涜」と表現したことを私も支持する。
2011年に、VOCAROID技術で植木等さんを再現できる可能性がある、という情報が一部のメディアに掲載されていた。
VOCAROIDは、人間の実際の声をあらゆるパターンでサンプリングして音節や言葉のつながりでアーティキュレーションやイントネーションが変わる部分も含めてDB化されたライブラリから、条件に応じて文字や言葉を再現するようなもので、m.o.v.eのボーカル:yuriや元AAAメンバーの伊藤千晃、演歌の大御所:小林幸子など、有名アーチストの声で商品化されたものもある。
これらを使えば、即本人と同じ歌唱が再現できるということではなく、VOCAROIDをそれなりに歌わせるためには、それなりのテクニックがいるし、音源としてのライブラリはもちろん本人の声がベースになっているので、メロディや文字列によってはそのままでもそれらしく聴こえる場合もあるが、とても本物と見分けがつかないなんていうレベルにはまだ到達していない。言い換えれば、そのレベルであれば、本人歌唱なんていう表現も使えないので、まったく別物としてとらえられるので、賛否の議論は起きないはずだ。
しかし、今回は違う。AIで音声をもとに新たなメロディに対して歌唱をさせ、ビジュアルもそれらしく仕立てた上で、本人そのもではないにしろ、セリフも含めて、あたかも本人が蘇ったような演出を紅白歌合戦という舞台で披露したのはあまりにも稚拙である。NHKスペシャル特番だけに留めておけばよかったのだ。
何より、美空ひばりの歌唱というのは、日本のポピュラー音楽史における最高峰であり、戦後日本の昭和史における存在においては唯一無二である。
なので、美空ひばりというアーチストとしての技量と功績を考えれば、「新曲」と称して発展途上のクオリティで本人名義で歌わせ、中途半端な演出をするなんていうのは「冒涜」以外の何物でもないのである。これは、山下達郎氏に限らず、ひばりさんと生前親交が深かった中村メイコさんも不快感を持たれ、思わずチャンネルを変えた、と、出演されたラジオで語っていました。
AI美空ひばりの歌唱で感動された方もいるのかもしればい。でも、美空ひばりの歌唱とはかけ離れたものであることは一聴して明らかなので、正直、それで感動できる人はご本人が思っているほど美空ひばり本人の歌唱をまじめに聴いてはこなかったのでは?と、申し訳ないが疑いすら感じてしまう。
本日のワイドナショーで松本人志が、「どうせやるならもっと完成度の高いものにして欲しかった」と語っていた。その通りなのである。
後者の手塚治虫先生の場合は、少しニュアンスが異なる。ご子息でもある手塚眞さん監修によるこの試みは、手塚治虫の「新作」ということではなく、手塚治虫が残した膨大なキャラクター、タッチ、思想をもとに新たな創造物を生み出すことが可能か、というチャレンジであって、商業主義とは一線を画したものととらえている。