追悼:アンバーシャダイ

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左の写真は、’83年春の天皇賞を制した時のパネルです。鞍上に加藤和宏騎手、反射して顔が隠れてしまっていますが、左は社台ファームオーナーの故・吉田善哉氏です。

なぜ、このパネルが我が家にあるのかを説明すると非常に長い文章になるので割愛しますが、このパネルの中心に堂々と写っている天皇賞馬・アンバーシャダイが放牧中の事故で骨折、獣医も手の施しようが無く、そのまま安楽死処分がとられたとのこと。

一度も年度代表馬には選出されることはありませんでしたが、有馬記念、天皇賞・春を制した他、引退時の獲得賞金・4億6205万4400円は当時の最高記録でした。

幼少時に大怪我を負ったため、予定していた馬主との契約がキャンセルになったことで、吉田オーナーの個人所有馬としてデビューした訳ですが、その後の華々しい活躍の後、種牡馬入り、メジロライアンなどの名馬を輩出しました。奇しくも最後、右肩を骨折という大怪我で31歳の生涯を閉じました。砂浴びの後に立ち上がろうとして転んだ際の事故ということで、高齢の割には元気であったことが災いしてということが、幼少のエピソードと重なります。

天国に行ったら、またあの力強い走りでターフを駆け抜けて欲しい。

彼の華々しい生涯を知らない方は下記を参照して下さい。
アンバーシャダイ 偉大なるチャンピオン

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アンバーシャダイが事故死
1月30日9時15分配信 日刊スポーツ

 81年の有馬記念などを制したアンバーシャダイ(牡30)が29日、放牧中の事故のため、けい養先のアロースタッド(北海道新ひだか町)で死んだ。現役時代は抜群の勝負根性を武器にG1級レースを2勝。種牡馬入りしてからもメジロライアンなど多くの活躍馬を輩出した。
 アンバーシャダイが突然の事故で30年の生涯を閉じた。29日午前、けい養先のアロースタッドでの放牧中に右肩を骨折。そのまま安楽死の処分がとられた。「ゴロリと寝転んだ状態から立ち上がるときに、脚の突きどころが悪かったようだ。年齢にしては元気が良かったことが、結果的に悪い方に出てしまった。(脚は)見ただけでダメだと分かる状態だった」と同馬を担当していた今野さんは事故の様子を振り返る。
 競走馬としても、種牡馬としても実績を残した。G1級レースの勝利は81年の有馬記念と83年の天皇賞(春)の2勝。3歳までは一介の条件馬にすぎなかったが、4歳から急激な成長を遂げ、暮れの有馬記念で同厩舎のホウヨウボーイを破って優勝。6歳春の天皇賞ではたぐいまれなる勝負根性を発揮し、ホリスキーとの競馬史上に残る激闘を制した。
 大種牡馬ノーザンテーストの後継として期待された種牡馬生活でも、多くの活躍馬を送り出した。代表産駒は91年の宝塚記念を制したメジロライアン。そのほかにもカミノクレッセ(日経新春杯)レインボーアンバー(弥生賞)などの重賞ウイナーがいる。産駒は父の血を受け継ぎ古馬になってからも息の長い活躍を続ける馬が多く、内国産種牡馬のエースとして馬産地の人気も高かった。02年の種付けを最後に引退。その後はアロースタッドで静かに余生を送っていた。

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追悼:アンバーシャダイ への1件のコメント

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