靖国問題に思うこと

小泉さんは任期最後の年に、最後の公約「8月15日に靖国へ参拝する」を果した。任期中、靖国参拝については賛否両論で、小泉さんは今まで8月15日に参拝することについては周りの意見を尊重しての判断だったと思う。しかしながら、いつ行っても結局非難されることに変わりはない、ならば、一番適切な日に行くという最終判断で最後の年に終戦記念日を選んだ。戦争を知らない子供達の一人である私も、今までいろいろ勉強してきたが、やはりこの決断は正しいと思う。

中国・韓国の反発が激しいことを考慮すべきだと言う人がいる。しかし、軍国主義の復活などと民衆を煽り、自国の政権安定に利用している隣国に言われる筋合いはない。日本からの支援事業活動に関しては目をつぶり、過去の歴史の過ちについて日本が頭を下げても、言い方がどうかといって認めない。そのくせ、領域侵犯などを平気でやる国である。所詮、死んでしまえば皆仏という文化を、墓を掘り返してまで呪う民族が理解できる訳がない。靖国の参拝論議というのは日本国内・日本国民の問題であり、隣国が口を出すような話ではないのだから、気にするべきでないのだ。次期総裁候補となるべき人で、靖国の参拝是非の理由に中国・韓国に対する配慮を挙げるような人にはなって欲しくない。物事の本質を見分けられないような人にこの国は任せられないから。

戦争は二度と起こしてはならない。昔、浅草とかには、戦争によって体が不自由になり、白装束を着て物乞いをするお爺さんとかがいた。今はもうそういう人はいなくなってしまったし、浅草自体も昭和30~40年代と比べて静かになってしまった代わりにキレイにもなった。反面、戦争の名残を感じさせるものがだんだん少なくなっていくことが、隣国から勝手な解釈で言われるようになってきた背景の一つかもしれない。

戦争は二度と起こしてはならない。日本人なら誰でも同じ考えを持っている。当たり前だ。しかし、9・11に象徴されるように宗教・文化の異なる思想の延長上に人間の命を犠牲にしてまで主張する者たちがいる。たった一人の独裁者のために、国民のほとんどが犠牲を払っている国がある。総理大臣の最大の義務は、日本国民の安全保障である。だから、その義務の重大さを理解すれば、アメリカの言いなりと非難されようが多額のカネをアメリカに払うのである。

物事の本筋から言えば、自分の国は自分で守るべきだ。ところが、軍隊装備に関しては憲法との兼ね合いもありシビアな議論となる。この話題はそれだけで長い文になるので割愛する。現在は、結果として日米安保条約にすがるしかないのである。

現在の日本は戦争ができる軍隊はない。むしろそれを非難する国々の方が立派な軍隊をお持ちだ。だから軍国主義復活などは論外なのはわかりそうなもんだが、いかんせん、政治利用や、共産主義による報道規制が正しい情報を伝えないのであろう。

飯島愛がサンジャポで、「いろいろ問題はあるのかもしれないけどこういう騒ぎが、あたしとかにも戦争の事を考えさせるきっかけになっている」と発言していた。これはとても大切なことで、今の若い人たち、それこそ、10代後半から20代前半の人たちも、もっと自分の国のことを考えてみるべきだ。「たけしのTVタックル」、「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」など、政治や経済、外交、国家安全などを題材にした親しみやすい番組が今はある。"なんとなく"とか、"わかんない"ではなく、自分の国のことだからこそ、しっかりと自分の意見を持たなきゃいけいない。

カテゴリー: 経済・政治・国際 パーマリンク

靖国問題に思うこと への1件のコメント

  1. 共通テーマ のコメント:

    靖国

    靖国神社への思い、靖国神社参拝問題に関する意見等々。こちらに書いてみませんか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.