私の世代にとっては、やっぱり長嶋監督解任の後を受けて以降の監督の時代である。ONが引退し、新たなるスターを必要としていた時代、原辰徳を見事に引き当て、第一次長嶋政権の終盤の伝説の伊東キャンプで鍛え上げられた選手達が中心となった、監督1年目での優勝。
そして、王監督解任後、再び監督に。奇しくもONの後を任されるという相当な重圧を受けての就任である。
昭和30年代、現役時代は悲運のエースと言われ、酷使に耐えた119勝であったと聞く。かの有名な天覧試合におけるジャイアンツの先発投手である。また、藤田〜堀内〜桑田と続く背番号「18」がジャイアンツのエースナンバーと言われるのも、彼が元祖だからであろう。
期待されながら芽の出なかった斉藤雅樹をサイドスローに転向させ、見事に大投手へ開花させた。当時、遊撃手へのコンバートが囁かれ、事実、もし、斉藤をコンバートできれば向こう10年はショートのポジションを心配する必要がないと言われていた程であっただけに、本来の投手として大成させたその眼力は見事という他ない。
二度目の監督時代、伝説となった近鉄との日本シリーズでは3連敗から4連勝の大逆転劇。自身の現役時代、日本シリーズで西鉄ライオンズに屈した、3連勝4連敗という屈辱を、30年かかって返したような感があった。しかもその試合に、既に引退を表明していた中畑を打席に送る粋な計らい。中畑は代打ホームランで見事にその期待に応えたのでした。
球界の紳士、ご冥福をお祈りいたします。
藤田さん、楽しい思い出を有難うございました!
ジャイアンツの元監督、藤田元司氏が心不全で亡くなられた。数年前に体調を崩された際、別人の様にゲッソリされていたのがずっと気懸かりだったのだが、OB会に元気な御姿で参加されていたのを目にしホッとしたのは僅か2ヶ月程の前の事だった。昨年12月の仰木彬氏、今年1月の近藤貞雄氏、そして今回の藤田氏と、大好きな野球人が3ヶ月連続で鬼籍に入られた事が何とも哀しいし、悔しくてならない。今の御時世、74歳という年齢は生…
≪ 球界の紳士 逝く・・・。 ≫
2月9日(木)18:40