スポーツチームに企業経営の理屈は必ずしもあてはまらない

今回のプロ野球再編問題の騒動にて今週末以降のストライキはすべて回避されることとなった。
選手会会長である古田選手の苦労と決断に関しては、敬意を表したい。この妥結は彼が代表者でなければ実現できなかったかもしれないのだから。
締結後の握手が古田会長と瀬戸山代表の間で行われなかった背景、というは、バファローズ、ブルーウェーブ両チームの選手の心情を考えたらとてもできない、という判断であったとのこと。その判断は正しいと私は思う。
Jリーグでは、かつて、横浜フリューゲルスのオーナー企業撤退という理由で、同じフランチャイズを持つ横浜マリノスに吸収合併された。
私はJリーグ設立時からフリューゲルスを応援していて、ファンクラブにも所属していた。40mも離れた距離から神業のようなフリーキックを決める、10番をつけていたエドゥーという選手が好きだったし、ワールドカップの時期になると明石家さんまがホストをつとめるフジテレビの特番に、アルゼンチンレポーターとして登場するモネールという陽気な選手もいた。フランスW杯で中盤の要として活躍した山口がキャプテンで、その頃の前園はまだ元気だった。今、新潟で監督をしている反町の最晩年の頃である。
フリューゲルスが吸収合併されたことによって私はマリノスのファンになったか?答えはノーである。それどころか、その時を境に私はJリーグに興味が無くなってしまった。いまや私は、J1に何チーム所属しているのか、その全チームの名前すら即答できない。日本のサッカーの試合を見るのはA代表の試合の時だけである。
この点が一般の企業統合と大きな違いである。資本主義経済の下ではどんな分野でも競争原理が働く。しかし、ライバル企業が手を結んだとなれば、一般消費者の立場から見たところで求めるものを提供してくれれば、価値観としては変わらない。社員にしても企業そのものではなく企業が提供できるものに対する愛着があれば、世間を騒がせるような問題にはならない(もちろん、統合によるリストラ等の問題を除けば)。
しかし、スポーツの場合は違う。何故なら、本来、動物は争うということを本能的に持っている。しかし、本能に従って相手を殺してしまうようなことがあっては、よろしくない。そこで一定のルールを決め、そのルールの範囲内で争うというゲームを作り、そのゲームに人間の闘争本能を転嫁させた訳である。だからサッカーや野球のような団体スポーツは、言い換えれば戦争を置き換えたものに他ならない。相手の選手およびチームを「敵」という表現を使うのはそこに起源がある。企業ではライバルであっても「敵」という表現は使わないはずだ。
バファローズの磯部選手会長が涙をためながらコメントをする姿が放送されていた。その心情を思えば、近鉄という企業が何故身売りではなく合併を選んだのかの説明をぜひともしてもらいたい。
近鉄球団は近々、選手への説明とともに、応援団に対しては合併後の新チームについても応援を要請するとのこと。果たして応援団は承諾するだろうか?

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スポーツチームに企業経営の理屈は必ずしもあてはまらない への2件のフィードバック

  1. shuichi のコメント:

    でもやっぱり資本主義を採用している以上採算性はとても大切な気がします。どんなことでもあっても収益を上げることを目的にしてるんだし、、、あ、トラックバックさせて頂きます。

  2. ストライキ回避!!!

    近鉄・オリックスの合併騒動から球界再編に話が飛び、最後は選手会のストライキまで行

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