歪んだ権力

10時間半に及ぶフジテレビの記者会見。

客観的に見ている側としてはフジテレビよりも
質問する側のモラルや在り方に嫌悪感を感じる
部分が多かった。前回の失敗記者会見のいくつかの
問題点のうち、記者を出席できる記者を限定した
ことは、むしろ正しかったのでは?と思わせる
ようなシーンが垣間見れ、日本のメディアの
レベルは所詮こんなものかと、国民に知らしめた
ようなものだ。

加えて、文春がこの問題の前提となる重要な
ポイントの修正を目立たない形で行い、明確に
広報しなかったことで、文春側にも説明責任を
問う声が大きくなっている。

株取引等で虚偽の情報を流して価格に影響を
及ぼすと罪に問われ、実刑になるような重い
ものだったような気がする。

ところが週刊誌等が事実と異なる報道をしても
さほど賠償額も高くならない名誉毀損程度で
終わってしまい、タレント等は書かれ損というのが
実態のようだ。

しかし、今回の事案のように、国民的スターが
引退に追い込まれ、フジテレビはスポンサー離れ
による経営悪化は避けられず、当事者だけでなく、
ファンや関係のない社員及びその家族含めて影響を
与えたことに、誤りでした、だけではもはや済まない
のではないかと思う。

現在の情報から言えることは、
問題視されていたフジテレビが上納のような形で
幹部社員が社員をアテンドしたのではなく、
事案そのものはタレントとその相手による二者間の
関係で起きたこと、当該社員が上司に相談した以降の
会社としての対応のまずさの2点である。

前者は守秘義務含めて示談が成立している以上、
他人がとやかく言う問題ではないので、残るのは
後者であるが、そもそも業界としての慣習に近い形で
行われていてもおかしくない風土が問われ、企業の
取締役権限を持つ人物が四十年以上君臨している異常が
問題視されているということだろう。
こちらは既に第三者委員会による調査が始まっている
ので、報告を待つしかない。

今回の事案で言えることは、
かつて木村拓哉が型破りな検事を演じたドラマ
「HERO」の中で、検事や警察のような立場は
これっぽっちの保身のために事実を曲げるような
ことをすれば簡単に人の命を奪う事ができる、
というようなセリフがあったが、そのドラマが放送
された頃はまだスマートフォンはなく、今程SNSに
影響力も無かった。

しかし、現在ではSNSによって自殺に追い込まれたり、
それがきっかけで殺人等に発展するような時代である。

週刊誌でのスキャダル記事が出ても、昔ならばその
情報が伝播するにもある程度時間を要し、その間に
色々な情報もふるいにかけられたのだろうが、
現在は世界中の多くの人々がインターネットによって
ほぼ常時繋がっており、瞬く間に拡散される。

一般の人がSNSに投稿しても他人の命を奪えるのだから
社会的に一定の信頼を得ているメディア業界は、
情報を発信する際には、一般人がSNSに投稿する
以上の責任と覚悟を持って頂きたい。

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誰が救われたのか?

メディアが報道する情報を見聞きする立場でしかないので誰かに対して
批判も養護もするつもりはない。

元々の当事者が直接認めているのは、女性との間にトラブルがあった、
ということで、その事案に対しては示談が成立している、ということなので、
二者間でそういうことがあった、というのは事実だろう。
スクープ記事を掲載した週刊誌でも「性加害」事案とまでは表現していないが、
示談における金額が「9千万円」とか、被害者側の表現として
「昔の自分には戻れない」ということから、SNSをはじめとして
それを前提として非難・擁護それぞれが飛び交っている。

ところが、それ以外の登場人物に関しては、記者会見でも認められていないので、
週刊誌のスクープをどこまで信じるべきかは読、今現在の時点では、読者の判断に
委ねられている。

よくわからないのは、被害者とされる女性との間に示談が成立しており、その背景に
当該女性のプライバシーを最大限に尊重し、誰にも知られず社会復帰をしたいという
女性側の意向が正しいとすると、このような記事がこういう形で出回るのは疑問を
感じる。

フジテレビが関与しているとされている中で、社員が相談に乗っていたのは事実だと
社長がコメントした時点で自ずと現在は社員ではないが当時はフジテレビ社員だったと
言っているようなもので、メディアが明に表現していなくとも、事案の発生時期から
しばらくして長期に渡り体調不良となり、最終的に退社したアナウンサーと結びつけて
考えるなという方が無理がある。
そもそも仮にそうだったとしても、刑事事件とせずに示談とした背景から、当人が
「私です」とは言う訳ないのだから真偽を問うのは不毛の議論である。

先ほど、加害者とされる側が芸能界引退を表明した。
国民的グループと称され、解散して既に8年以上経過した今でも再結成を望む声が
少なくない中、このような幕引きはそれを不可能とする刻印を押されたに他ならない。

港社長の記者会見が閉鎖的で、コメントできない旨の内容が多かっただけに、
スポンサーや大口株主からの指摘は厳しく、フジテレビの企業体質が問われる
とともに、それは、芸能人を使って番組を制作する他のテレビ局にも厳しい目が
向けられている。

視聴率をとれる芸能人とテレビ局の関係のゴシップは今に始まったものではないが、
昭和、平成を経た昨今のコンプライアンスが問われる世の中では、国民的スターの
引退にまで発展した以上、フジテレビ関係者の関与についての追及は厳しいものになる。

それがフジテレビに限らず、ショービズ界全体の悪しき慣習を一掃できるのであれば
大きな代償ではあるけれども、長い目で見れば意味はあるだろう。

ひとつ、ひっかかることがある。
被害者の女性がこういう状況を望んでいたか。
当事者である元スターの引退は、本人よりも彼を応援してきたファンが願い続けた
再結成の夢は絶たれた。
テレビ局は、悪しき慣習があったとすればその制裁を受けなければならないが、
そこで働く社員が自分の意思でそれに加担していたとも言い切れないので、
テレビ局社員にも大きな後悔の念を植え付けた。
結局、喜んでいるのは、売り上げが伸びた週刊誌だけかもしれない。

記事を書いた側は、もともとは正義感に駆られての報道はともかく、この騒動の
結末が見えてきた時、最終的に誰を救うのか?

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3年A組をもう一度放送しては?

山下達郎さんのレギュラー放送の中で、一部のメディアで取り上げられている内容に対してご本人自身の考えをコメントされた。

これに対して、SNS上ではいろんな意見が飛び交い、私が閲覧した時間帯では批判的な内容が多いように思えた。

ネット上で批判を展開する人たちは何がお望みなのだろう?

「性加害」というセンシティブな問題について、その事実があったならば許されるべきではない、達郎さんもそのように述べていたし、これについて重箱の隅を突くような揚げ足取りはするべきではない。

今回のジャニー氏に関する問題の難しいとことは、当事者本人が既にこの世にいないことである。

被害者として告発している人を疑っているのではなく、その罪があった際に当事者が認める、という機会が得られないことが複雑にしているのである。

真実は当事者しかわからない以上、調査の結論をもって、しかるべき立場の者が判断を下すまで待つべきであること、一方でジャニーさんの指導によってショービズの世界で懸命に努力している者、未来のアイドルを目指して今もレッスンに励んでいる少年たちが現在進行形で存在している以上、現時点で調査に関わっている者以外が憶測で物を言うべきではない、というのが山下サイドの考えだと思う。

SNS上では、性加害問題について報道されていることがすべて真実というか、あたかも自分が真実を知っているような体で、批判を展開している輩があまりにも多い。
たぶんあっただろう、というのがほとんどの人の印象で、被害者が存在している以上、そうなんだろう、というのは私も思いはするが、それを正義の味方の如く、一刀両断にできるほど事実を知っている訳ではないだろう。その程度の情報しか知らないのに軽々とコメントすべきではない、ということだと思う。
オトナなら、そういうところまで考えて、発言する内容と場を判断すべきだが、そういうところがわかっていないのだとすると、契約解除の要因の一つに今回の発言があったことに対して否定はしないが、その他の要因も含めてと述べられた部分がそれにあたるかもしれない。

さて、結局、SNSというのは個人が自分の思いを即時に発言できる便利なツールではあるが、内容の正確不正確、真実デマ入り乱れて垂れ流しされているので、それを真に受けて投稿やリツイートすれば、自分も扇動者という立場になるということを改めて思い出してみるべきではないかと改めて思う。

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Eric Crapton & Jeff Beck “Moon River”

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シン・仮面ライダー

期待が大きかったせいか、70点かなぁ。

私はリアルタイム世代で、今や数十人いるライダーの中でも、旧1号が一番好きである。

THE FIRSTは、我々世代にとって旧1号のリブートとして、様々なオマージュを入れ
つつもビジュアルも現代的にうまくアップデートされた作品であったが、
そもそも、「仮面ライダー」という名称が現代の感覚ではダサすぎてしまうし、
もともとショッカーにバッタをモチーフにした改造から「ホッパー」という名前を
捨てて「仮面ライダー」と、本人もショッカーも呼ぶのはあまりにも不自然になるだけに
「仮面ライダー」という名前を劇中で使わないことに私は潔い決断であると高い評価を
していた。

さて、「シン・仮面ライダー」の率直な感想は、これは仮面ライダーというより、
緑川ルリ子を主役にした作品であり、ルリ子を演じた浜辺美波や、ハチオーグ(鉢女)を
演じた西野七瀬の演技は非常によかったと思う。
オリジナル仮面ライダー旧1号のビジュアルをほぼ踏襲しながらも、現代の作品として
コートを着させたり、旧1号時代のオートバイでの変身を現在の技術で蘇らせた点は
非常によかった。
一方で、CGのクオリティがイマイチで、ショッカーとのオートバイでのチェイスの
部分や空中に飛んだり跳ねたりするところは冷めてしまった。
THE FIRSTでのライディングシーンは見る側にスリルを感じさせただけにここは非常に
残念だ。

一文字隼人をライダーを倒す刺客として登場させるのはいいのだが、セリフが軽すぎて
いただけない。これは柄本佑のせいではなく、脚本・演出側の責任だ。

そして、終盤、「立花」と「滝」の名前が登場するが、「立花」の名前をあのような形で
出してほしくなかった。THE FIRSTは、”オリジナルでの”おやっさん”と異なる
ダンディなメカニシャンとして登場させたが、元々の「立花レーシング」をイメージ
させる演出だったので我々の世代はすんなり受け入れられるが、今回のああいう立場の
使い方は違和感がある。
オリジナルの「滝」はFBI出自の人間なので、今回の立場でもそんなに遠くはないので
それだけに「立花」の役名の使い方は残念。

最後に新1号のオマージュコスチュームを、あの形で登場させたことで本郷と一文字が
ごちゃまぜになってしまった。

もう一度見たいとも思わせるストーリーと役者の演技から、全体として合格点ではある
のだが、せっかくいい作品になる可能性が高かっただけに”策士、策に溺れる”感が否め
ないだけに否めないだけに惜しいな。

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真実追及の闘いが始まった

本日、京都大学の福島名誉教授が厚生労働省に対して、ワクチン接種に関する
情報開示請求を東京地裁に提示し、記者会見を14時から行ったとのこと。

ところが、その模様を録画した映像は、YouTubeではすべて削除されていて、
今のところ、Twitterとニコ動で、録画した人たちが公開してくれている。

しかし、TVなどのメディアでは、国民にとってこのような重要な行動を、
今のところ取り上げようとしていない。

これが我が国の実態とは、なんとも虚しい想いであるが、なにはともあれ、
今日が真実を追求する一歩となることを信じたい。

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追いつかない・・・

年末のクリスティン・マクヴィーの訃報で寂しさを感じて、年が明けたとたん、
ジェフ・ベックの突然の悲報に激しく動揺し、平常心を取り戻せない中、
幸宏の逝去で追い打ち。。。

今日もデヴィット・クロスビーの訃報とは・・・。

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王様 安らかに・・・

私はサッカープレイヤーとしての経験者ではないが
歴史上、最高のプレーヤーは誰か?と聞かれたら迷わず答える。
「ペレ」であると。

私のお気に入りのレジェンドはヨハン・クライフとジョージ・ベストだが
ペレは別格なのである。

ペレのプレーで私が一番好きなのはシュートシーンではなく、
70年ワールドカップ決勝で、自身がパスを受け取った際に、死角になっていた
はずなのに、右サイドへ後ろから上がってきたジャイルジーニョに出したパスで
そっと蹴り出したそのボールは速過ぎず遅過ぎずのジャストタイミングで
ジャイルジーニョの前に届くという、見事なプレーだった。

ペレ自身の得点やドリブルのシーンは数えきれない訳だが、まだサッカーをたいして
知らない頃にはただのパスにしか見えなかったそのプレーは、サッカーの奥深さを
知れば知るほど驚異のプレーであることと認識するようになった。

現役時代はクラシックな時代のセンターフォワードであったが、おそらくどの
ポジションであったとしても歴史に残るプレーヤーになりえたことは、世界中の
サッカーレジェンドがコメントしているので明らかである。

これからは天国から世界中のサッカープレーヤーを見守ってくれることであろう。
R.I.P.

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生物の真理

私には理解できない。

自然の状態というのは、何もしないというのがゼロベースである。

人間は、その歴史の中で、医学という学問を確立し、病やケガに対する
処方を開発してきた。

それ自体は幾多の犠牲で得られた最も有効な対処法が選別されて現在に
至っている。

世の中の多くの人が誤解しているが、病気を治すのは薬ではない。

薬の効能というのは、病やケガによって生じる免疫反応によっては非常に
身体に負荷がかかる状況に対し、それを耐えうる程度に和らげることであり、
病気や炎症そのものは免疫メカニズムによってでしか解決できない。

だから、薬というのは処方箋というのがある訳で、適用量を超えての使用は、
有害なものとなる。

ワクチンがあたかも病気に対する特効薬のように思っている人がいると
すれば、それは誤解しているというしかない。

基本的に従来のワクチンというのは、対象となるウイルスを弱毒化したものから
生成されたもので、それが期待通りの効果を出すのは、同じウイルスからの
生成で、充分な治験を経て承認されたものである。

だから、インフルエンザのように毎年流行する型が異なるようなものは、生成
されたワクチンの元になったものと型が異なる場合、ワクチンの効果が表れない
のはそのためである。

さて、コ〇ナワク〇ンの場合はどうかというと、新型コロナとされているウイルスの
遺伝子配列を解析し、m-RNAの作用を利用して発症を抑える仕組みを利用したもの
なので、従来のものと異なる上に、充分な治験というのは得られていないところが、
大きく異なるのである。

近年、ゲノム解析技術は飛躍的に進歩していることは理解するが、遺伝子配列を
すべて解析したとかいう記事を読むため、「自分たちが見えている範囲については」
ということに気づかないだけでわかった気になっているのではないだろうか?
と思ってしまう。

治験は試験管や顕微鏡の世界から、動物実験を経て、人間への治験を長い期間を
経て検証されるものである。
しかし、今のコ〇ナワク〇ンはそのプロセスを経ていないというか、現時点でも
緊急承認による実使用という名の治験状況にあるということに変わりはない。

このため、条件によっては重大な副作用の可能性も承知した上での使用が必要で、
結果としてどんな結果になっても、その実験台になったという許容が前提になるが、
世の中の多くの人はそんな状況に自分がなると思ってはいない。

一方、不幸な結果となった場合、許容する対価としての補償があるべきだが、
それも表面的には用意されていることになっているが、実際にそれが認められる
ことはほとんどないということに何の疑問も持たないのだろうか?

考えてもみてほしい。

副反応として一時的に熱が出るというのは、しぶしぶ許容したとして、
それが、新しい型が流行する可能性があるので、それに合わせたものを適用しましょうと
それを死ぬまで何回でも続けて、その度に熱が出たり気分が悪くなったりすることに
なんで疑問を持たないのか?

薬はそもそも、健康な人間には不要なものである。

健康な人が、わざわざ薬を体内に入れて、体調がおかしくなる、という本末転倒な
状況をなんで受け入れるのか?

国もテレビ医者もそれを推進してきた。

しかし、最近になって、心ある医師、看護師をはじめとする医学関係者が
立ち上がり始めた。
彼らはほとんどが臨床畑の人たちであり、学者さんではない。

薬というのは、異常が出たら即刻中止する、というのは基本原則であり、
どんな薬にもその文言は必ず記載されている。

彼らは日々の患者対応の合間を縫って、自分たちが対応してきた患者の状況と
国内海外問わずワクチンによる影響に関する研究論文を精査し、その危険性を
国民に理解してもらう活動をし始めた。

しかし、メディアは今も彼らを反ワクチンとして扱うだけでまともに取り上げない。
メディアしか情報を見聞きしていない人には伝わらない状況を今も作り上げている。

海外では既に集計すらやめてしまったPCR陽性者を感染者として人数を毎日報道し、
国民の不安を煽り、薬品会社との契約により、中身を決して分析させないワクチンを
国民に強要している。

私は、ウィルスよりも、今のこの状況に麻痺してしまっているワクチン推進派の方が
恐ろしく、まるでハリガネムシに規制されたカマキリのような行動をとっている
ようにしか見えない。

既にウィルスは弱毒化して人間と共存しているのに、経年後の結果が不透明な
ワクチンに染まり切った洗脳状態で、体内で変異させた得体のしれないウイルスの
スーパースプレッダーになりつつあり、しかも、自分たちが正義だと思っている。

本当に恐ろしいのは、今ではない。
5年後、10年後、どちらが正しかったのかがわかる。

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何とも虚しい

週末に起きた悲劇について、ここで改めて事細かく語るつもりはない。

理由はどうあれ、丸腰の相手に、死角から銃を発砲するという行為は
断じて許されない。

安倍さんは敵も多かったと思うが、こと今回の事件においては安倍さんの
政治信条とは関係ないところで、しかも犯人の自供がその通りだとすれば、
特定の宗教団体との関係が深いと思い込んでいた、というのはあまりにも
理不尽ではないか。

弱腰の政治家が多い中、諸外国に対しても言うべきことは言えた政治家だったと
思いますし、信念を持った方だったと思います。

志半ばでの鬼籍入りは、さぞ無念だとは思いますが、今は安らかに・・・と祈るばかりです。

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